浜岡原発を止めよう

『6月11日(土) 浜岡原発現地に集う』
に向けての私的な想い
~第1回、浜岡現地集会準備会を前に~
2011年5月4日記
馬場利子
 私たち静岡では、6月11日、東日本大震災から3ヶ月の日に、 浜岡原発が運転されている浜岡現地で集会を企画しています。

 この日は全国各地で脱原発に向けた企画が行われると聞いていますが、 私たちの企画はその動きに連動して計画したわけではありませんので、 流れの中で、何らの繋がりを持って実施できればと思っています。

 浜岡原発は、原発の立地上、当然の事ですが、 静岡県内でも、公共交通機関のアクセスが悪く、最寄のJR駅からも遠くにあります。
そうした現地で集りたいと思ったのは4月12日頃ですが、その理由(わけ)は当初2つありました。
1つは、
 3月13日から行った『東海地震の予想震源域での浜岡原発の運転を止めて欲しい』と いう要望書への賛同者を募っている中で、静岡県外の賛同者の方から、 「こんなに危険な原発を運転しているのは現地の人だけの問題ではない。 ぜひ、浜岡原発の現地で、たくさんの人が集まって、浜岡原発の停止の意思を共有しあいたい」 という意見を複数寄せていただいた事があります。
もう1つは、
 福島原発事故の深刻な放射能汚染が終息する見込みがない状況の中、 浜岡原発の運転中止を実現するために出きる事なら何でもしようと考え、 社会の動静に見識があり、脱原発の活動の外にいらっしゃる財界の知識人である知人に何年ぶりかでお電話をして、 「脱原発、浜岡原発への社会的関心が大きくなっていると感じます。 大きなデモをしたり、要望書や署名などあらゆる事を各地で行っていますが、もっと何かできる事はないでしょうか? 脱原発を進めるための社会的共通認識が得られるために、どの様な方法があるかお知恵があれば教えてください。」と 教えを請いました。
 そのお返事が、
「脱原発を願う人が浜岡現地に集まって、津波対策の砂山を見る見学会をして下さい。
1000人、2000人と現地に集まれば、マスコミも報道しないわけにはいかないでしょうし、 参加者全員でその砂山を見る事で、理屈ではなく、原発の施設は地震対策ができていない事が瞬間に分かるはずです。
とにかく、実際に浜岡現地で集まることをしたら良いと思います。」
であった事があります。
 この要望と助言で、私は『浜岡原発を多くの人と一緒に訪れ、脱原発の願いを共有したい』と考えるようになり、 お会いする人々に、浜岡現地集会の開催に協力していただけるように、直接その想いを伝え始めました。

私の中のテーマは
『こんなに過酷な仕事をして、小さな事故を繰り返しながらも大事故に至らなかった浜岡原発。今までありがとう! 平安に眠りに着く様、祈り、祝福します』
でしたが、「このテーマは、分かりにくい」という意見もたくさん頂いていますので、 準備会がスタートした時点で、テーマも検討する事としました。

 そして、4月25日、現地で集う場所や道路、施設の下見に有志4人で行ってきました。

 実は、私は原発の施設そのものが怖かったので、これまで浜岡裁判の弁護団に同行して1度訪れた事ことがあるだけでしたが、 くしくも、この日4月25日は2002年に浜岡原発仮処分裁判を提訴した日でもありました。
私たちは、原発PR館の展望室から施設全体を眺めた後、津波対策の砂防が見える場所を探して、 海岸線に出られる道をあちこち辿り、原発全体が見られる砂浜に出ました。
 低い砂防の向こうに原発が見渡せるのですが、その姿は、福島原発の事を心配して、震えているように見えます。 あまりにも華奢な建屋、そして、海岸線ギリギリに立っている原発たちは、必死で何かに耐えているように見えるのです。 それは、あたかも人を放射能に曝さないように、精一杯がんばってそこに居るようにさえ見えます。
 “原発にも意識があるのだ!“と感じ、驚きました。 森や木や鉱物たちがそうであるように、人が造った原発も意識を持っているのだと思うと、思い当たる事がありました。

 2002年春からの浜岡原発裁判の経過の中で、中電の弁護団が「国の基準だから、大丈夫。」 「原発は厳しい定期点検をしているので、絶対に安全」 「あらゆるトラブルに対して多重防衛をしているから、過酷事故は起こりえない」と主張する度に、 原発は小さな事故を起こし、トラブルを隠していた事が明るみに出たため、 私の誕生日(9月20日)には、5機全部の運転が中止するという贈り物さえ貰っていたのです。
浜岡原発は女性であるようにも感じられ、そのか弱さと、痛々しさに、やはり「ありがとう」という言葉しか出ませんでした。

 原発を責める事はとうてい筋違いなことで、原発自身も“もう役目を終えてゆっくり眠りたい”と願っているように感じました。

 私のこうした感覚は、たいていの人には架空の幻感覚で現実性のない物に受け取られるだろうと内心は思っているのですが、 相手を見て話すという事が出来ない私は、この下見に行った以後、何人かの人に私の感想を話しました。
すると、どの人も、「浜岡原発は福島原発の事を心配して、プルプル震えているという話を聞いて、とても心に残りました」 「原発だって、意識を持っているのですよね」と言って下さるのです。
もう、「意識」という共通のツールを通して、互い(人も原発自身も大地震も・・)の願いを 受け取れるようになっている気がしました。

 このような経緯から、6月11日(土)は、デモや意思表示を目的にするのではなく、 感謝と共感、願いを多くの人と原発、浜岡の自然と共有し、現す集いにしたいと思うようになりました。

 現在まで長い脱原発の行動がありました。 原子力発電を推進する政府や電力会社の決定や方針を変えようと、様々な問題が主張され、裁判が行われ、 多くの集会やデモも続いています。 その全てが、脱原発への道を開く事に繋がると思いますが、 デモが政府や有権者に向けてのアピールであり、 裁判が国や企業に対しての主張であるとすれば、 今回の浜岡での集会は、身を震わせて一心に海岸線に立っている浜岡原発に寄り添い、 多くの人がしっかりと現実を俯瞰することによって、未来の姿を描き出す場に出来ればと私は願っています。

 まだ、集会の詳細プログラムは決定していませんが、 5月6日(金)の準備会から、決定した企画を順次お伝えしていきますので、 皆さん、お時間を作って浜岡原発に会いに来て下さい。