OPEN10周年記念号

馬場利子 - いのち
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2009年5月1日
プラムフィールド通信・第102回巻頭エッセイより
馬場利子

 

プラムフィールドは1999年5月7日、上沓谷のお店から6人のメンバーで出発しました。
運営メンバー6人の内、5人は共同購入“ぐるーぷ・みるめ”で一緒に活動を続けてきた人でしたが、もう1人は、自分でお店を持ち、住まいも駅南・・・と他のメンバーとは少し違う生活時間でありながら、“健やかな命と暮らしを提案する”活動テーマに賛同して、参加して下さいました。
想いがつながったからだと思います。

プラムフィールドは静岡市で初の市民リサイクルショックであり、環境スペースだったと思います。
まだ、ごみ減量やCO2削減ということもまったく言われていない頃でした。

物を大切に、まだ使えるものを、有効に使ってもらえる人に橋渡しするリユースショップを開きたい・・・と思ったのは1990年私が静岡に転勤してきたすぐの頃です。
それまで住んでいた浜松市では市民リサイクルショップが運営されていて、私も利用させてもらっていたのですが、静岡には、そうした活動がなかったからでした。

いつか“安全な食べ物や暮らしの消費財を紹介したり、リユースやエコ活動を提案するスペースを開きたい・・・” 夢を持って以来、9年目にプラムフィールドは生まれました。

私にとって静岡は知人1人居ない未知の街でしたが“いつか地域で~したい”という願いを一つ一つ一緒に実現していける仲間に恵まれたことは、神様からの賜物に他ならないと思います。

プラムフィールドは新しいスタッフも増え、“リサイクルショップ”だけではなく、スタッフ1人1人の個性や夢がその時、その場のスペースを創り、訪れてくださる皆さんと一緒に 10年を織り上げることが出来ました。

スタッフ一同、心から感謝しています。
これからも1人1人の心に実った愛を社会に広げていきたいと思います。


 

 

プラムフィールド10周年に寄せて~余録~

 私たちの活動スペースの名まえを“リサイクルショップ”や“エコショップ”という名ではなく、 “プラムフィールド”と名づけたのは、集まって下さる多くの人によって自由に創られていく『場』として在るように願ってのことでした。

 人が生まれてきた子どもに命名する時、その子の命への願いを現すのと同じように、私たちも、この場が私たち自身のためだけの存在ではなく、関わってくださる人々によって、育てられ、支えられて何かになっていく”ことを一緒に楽しませてもらいたい、との想いで名づけました。

“プラムフィールド”とは M・オルコット(1833~1888年アメリカ) の小説 『若草物語』の第三部で、次女ジョーが夫ベア氏とともに開いた学園(後に大学となる)のあった場所の名前です。
『若草物語』の中で、小説家を夢見たオテンバな少女ジョーは、長い間、幼い私の憧れの女性像でした。
“プラムフィールド”にジョーが開いた学園では、ジョーの甥や姪だけでなく、孤児を引き取り、育ち合うのですが、そこには大人が教育するという風景はなく、子どもの現れに心を配り、一緒に感じ合おうとする大人たちが語られています。

“将来、あなたは何をしてもいい。あなたが幸せを感じられる人となるよう、私も力を尽くします”という言葉は小説には出てきませんが、私はいつか、そのような『場』を一緒に作ってくれる人々に巡り会えたら、きっと“プラムフィールド”を創りたいと思ってきました。

そして仲間が与えられ“プラムフィールド”は実現しました。
“プラムフィールド”はお店ではなく、
心を交わす『場』であり続けたいです。
心から10年に感謝します
最終更新 2011年 8月 20日(土曜日) 18:23