石川薫さんありがとう

馬場利子 - いのち
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消費者リポート2008年9月号より転載

わせだより
 1989年から5期10年間もの間、役員選考委員会委員として日消連の運営上の問題にも渾身の力を注いでくださった石川薫さんが、この夏の7月18日に、がんのため亡くなられました。
享年60歳でした。
 三重県鳥羽の海辺で育った石川さんは、海と魚と海産物が大好きで、合成洗剤の使用によって海が汚染され始め、魚師から魚が少なくなったという話を聞いたり、入江の真珠養殖の母貝が死んだり良い卵を産む貝がなくなったりして養殖をやめていくのを知り、 73年頃には鳥羽SOS運動を立ち上げ、合成洗剤ボイコットを呼びかけていました。
 愛知の合成洗剤追放・石けん購入運動は、合洗追放西日本連絡会で石川さんたちのグループと運動をともにしていました。
東京の消費者グループがいち早く合成洗剤有害の情報を掴み伝えて、全国の消費者グループに稲妻が走り、合洗追放の運動が各地域で燃え上がった頃の話です。
 まだ20代の石川さんは、合成洗剤の有害性について三重大学にいた坂下栄さんを訪ね、マウスの背中の毛を剃り洗剤を塗る実験の説明を聞いたりしながら、鳥羽の人々の間を有害性を訴えて歩き回っていました。
何事にも、自分自身にも妥協を許さない人でしたから、日消連の運動についても辛口の意見を頂いておりました。
 早過ぎるお別れでした。安らかにお眠りください。(水原)


 

プラム通信2008年10月号より  馬場利子 記

 石川薫さんの他界を知ったのは8月2日(土)の日本消費者連盟の運営委員会(東京)
私はとても驚き、お連れ合いで知人の石川貞二さんにお詫びの手紙をすぐに書き送りました。
薫さんには20年何かにつけ教えを受け、励まされ、勇気をいただくだけでなく、ここ数年「とにかく雑事を離れて鳥羽の海を見に来なさいよ」と何回となく招待を受けていたのです…。
私が“いのちと暮らし”に関心を持ち、食べ物から歩み出した後に、石川貞二さんと坂下栄さんの合成洗剤の毒性実験を知り「科学的な生命のとらえ方」を知るきっかけなったのもかおるさんたちの活動の大きさと広がりのお陰でした。
石川ご夫妻とは親しい友人のつもりでいた私でしたが、薫さんの病気や他界、葬儀を知らなかった理由は「病気のことはできるだけ誰にも知らせないで」という薫さんの意志で「葬儀もしなかった」との事でした。
49日の9月6日まで、毎日「薫さん、ありがとう」と日記に記しました。

最終更新 2011年 8月 20日(土曜日) 18:08