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いのち

“9条ピースウォーク”を終えて

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平和への想いを繋ぎ、エネルギーを集めて迎え、送った“9条ピースウォーク”

2008年4月18日

9条ピースウォーク静岡県中部実行委員会  馬場利子

 

 4月17日、雨の中のウォークを共にし、ウォーカーの皆さんを静岡県東部へ送り、1月から準備をしてきた中部実行委員会の主なる目的を果たし終えた安堵感と、一緒に歩いた親愛の情からウォーカーの無事到着を祈る思いに、名残惜しささえ感じています。

  私がこの9条ピースウォークの受け入れに協力したいと思ったのは、「9条ピースウォーク実行委員会」の呼びかけ文『憲法9条を輝かそう 9条ピースウォーク いのちの行進 想いを行動に』を読み、共感と大きな感動を感じたからです。

  企画して下さる人が在り、平和を願って歩いて下さる方たちが居てくださり・・私はその人たちを迎え、共に分かち合う場を作る事でこの行動に参加できる・・趣旨が明確で、活動も分かりやすく、目的にも賛同でき、私は最初に説明を聞いた時から、この『9条ピースウォーク』の活動をとても嬉しく、ワクワクとした喜びを感じていました。

  しかし、私自身は平和や9条に関わる活動をしてきたわけではなく、長い間、暮らしと環境をテーマに活動してきた、ある意味で部外者でしたから、受け入れは、地域の繋がりと同じ想いの有志が集り、皆で話し合って進める方法を採りました。

  代表が誰であっても、静岡の場合、きっと上手くいくと思っていましたので、呼びかけをして下さった東京事務局から「組織に呼びかける事はせず、1人1人、個人としての参加で受け入れをして欲しい」という要望に応えて、グループや組織への呼びかけは全く行いませんでした。
 ですから、準備会の呼びかけは、静岡市近郊で市民活動をしている(あらゆる分野の)人々が読んでいるメール通信(読者約280名)で流し、自発的参加者のみで始めましたが、初回から40名近い人が集ってくださったことには、正直なところ、驚きました。平和の活動がいかに大きく、広がりのある活動であるのか、私自身が知る機会となりました。

  1月に行った第1回の準備会から、月1回の実行委員会を開催し、準備をしてきましたが、このように長い時間を掛けて、ゆっくり準備を進めたのには、理由があります。
それは、限られた人々がウォーカーの受け入れをするには、静岡県は広く、ウォーカーが滞在する日数も多く、地理的にも東海道は想像以上に長いため、どうしても無理や負担が大きくなります。そのため、実行委員会に参加してくださった人が中心となって、各地域である意味、独立した工夫と人との連携を創る必要があるためでした。準備の4ヶ月間は、名乗りを上げてくださった人々(実行委員会のメンバー1人1人)の心が醸成してくる期間として、とても大切な時間だったと思います。

  MLを第1回から立ち上げ、意見交換や伝達をしていく中で、初めて知り合った実行委員会のメンバー1人1人が、地域でどの様にピースウォークを迎えようとしているのか、互いに理解し、触発されたり、感動したりしながら、全国共通のルールやマナーを守る事意外は、各地域で全く自由な形を取って進めてきました。

  中部実行委員会という大枠の中では2名(私と久保田さん)が全体コーディネーターであっても、実は地域ごとに責任者の方が居て下さり、その方たちが地域の人と心を繋いでいってくださったからこそ、すべての地域で楽しく、活き活きとしたサポートが出来たのだと思います。それを可能としたものは、この9条ピースウォークが“なぜ、何のために行われるのか”を、どの実行委員もしっかりと理解し、共感し、自分の活動として動く事ができたからだと思います。
  また、ウォーカー自身も同様に、自分のテーマとして“歩く”事を選択した人々でしたから、受け入れる私たちの動きに配慮しながら、気がつくと片付けや台所仕事などを一緒にやって下さる人や、質問に丁寧に(きっと各地で何度も同じ事を聞かれていたに違いないのですが)応えて下さる人など、お客様を迎えるという感覚は全く無く過ごす事ができ、このウォークが人と人を結ぶ活動であることを、一層、感ずる事が出来ました。

  ウォーカーを静岡県東部へと送った今、改めて、この活動に連なる事ができた幸せを感じています。実行委員の各々が、近くで市民活動をしていながら、交流する事無く過ごしていた多くの人と出会い、互いの特色を生かし合おうと努力をして協働できたことは、このピースウォークの活動そのものが、「平和の行動」を創るものであったと感謝しています。 

  私たち、中部実行委員会はこれで解散し、またそれぞれの活動や暮らしに戻っていきますが、平和を願う繋がりは消えないと感じています。
  言葉に尽くせぬ、“ありがとう”をピースウォークに関わって下さった全ての皆さんに贈りたいと思います。
ありがとうございました。
                

2008年4月18日  馬場利子 記
最終更新 2011年 8月 20日(土曜日) 17:45
 

虚構の現実からいのちの現実へ①

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2008年2月7日

地湧社「湧」1.2月号より

往復書簡  虚構の現実からいのちの現実へ①

浜岡原発裁判はいかがでしたか?

            編集部馬場利子様

 木枯らしが落ち葉を吹き散らし、年の瀬に向けてこちらは何かとせわしない毎日ですが、
いかがお過ごしですか?
 さて、先日(十月二十六日)の静岡地裁で下された判決、「浜岡原発は東海地震が起こ
っても安全で、原発の運転を止める必要はない」には、びっくりさせられました。五年あ
まりをかけて法廷で論議されてきた内容には一切触れられず、あたかも最初からこの日の
判決が決まっていたかのようです。
 東海大地震が起こる前に老朽化した浜岡原発を止めるよう中部電力に求めたこの裁判
で、馬場さんは原告団の事務局長を一市民・一主婦の立場で引き受けられ、裁判に関わる
専門家の人々と一般市民をつなぐ大事な役目を担ってこられました。その一端を小誌に語
っていただいたことがあります(二〇〇三年四月号)が、その時、馬場さんは「この裁判
は、勝ち負けを争う場ではなく、みんなが幸せになるための場であってほしい」というよ
うなことをおっしゃっていました。それは、「健やかな命」を未来へつないでいくことを
つねに第一の目的として、さまざまな提案と行動を重ねてきた馬場さんならではの発言で
したが、実際にこの裁判はいかがでしたか? 
 新しい年を迎えるにあたって、地湧社では「虚構の現実からいのちの現実へ」というテ
ーマを考えてみました。思えば、馬場さんは二十年来、「虚構の現実」に疑問を抱いては、
そのたびに「いのちの現実」に照らした行動をとりつづけてこられたわけです。交渉相手
がどういう立場の人であっても、「いのちの現実」の場に一緒に立っていることをとこと
ん信じる、そんな〝めげない〟馬場さんが、今度の裁判に五年間関わって、今どんなこと
を思っていらっしゃるのか、これからどんなふうに活動していこうとされているのか、ぜ
ひお聞かせいただきたいと思いました。お返事、お待ちしております。
 
 二〇〇七年十二月一日    地湧社編集部 植松明子


いのちの世界という現実は、理想に向かって成長するものだと思っています
                                     馬場利子 静岡市在住・環境カウンセラー
             
「この裁判は私たちの声や願いを伝える場であってほしい」と語ってきました。

 二〇〇七年の終わりにいただいたお手紙、何度も読み返しました。いつも〝私〟から発
した日々の思いや行動にエールを送っていただき、ありがとうございます。
 全国から応援していただいた浜岡原発裁判の判決について、公に感想を述べるのは今回
が初めてになります。
 二〇〇二年四月、二千名以上の原告(債権者)団で提訴した浜岡原発の運転差し止め仮処分
申請は、〝巨大地震の前に一日も早く運転を止めてほしい〟と願う人の心が集まったもの
でした。私自身は、原子炉の耐震性や設計許可基準などについて科学的な論理を主張した
り、法の不合理を訴えるために裁判に参加したのではなく、もっと単純に〝安心して暮ら
したい〟という生活者の声を伝えたい、地震で原発が壊れる不安を抱えながら、その不安
を無いものとして生きるより、皆の不安や願いを直接伝えたいと思ったからでした。
 原子力発電所については、日本で初めて設置が検討された三十五年以上前から、核工学
の専門家の中にも安全性が確立されていないとして反対する人々がいて、建設予定地では
全国どこでも住民の激しい反対があったにもかかわらず、現在に至っています。何万年も
の間放射能を出し続ける核のゴミを子孫に押しつけることを承知しながら、原発を合法的
に運転してはばからない、決して誰も責任が取れない空虚な現実を、すでに争われてきた
多くの裁判で変えられたわけではありませんでした。ですから私は「この裁判は勝ち負け
を争う場ではなく、私たちの願いを伝え、どうしたら皆が安心して暮らせるようにできる
か考える場であってほしい」と語ってきました。
 裁判や法律というものをまったく知らない私でしたから、このような無知で無謀な発言
ができたのだと思います。「勝ち負けではない……」の発言は弁護団からも一部の原告か
らも、事務局長として〝不適切〟だと指摘されましたが、それでも私は心の中で〝勝ち負
けを争うなら、私たちに勝ち目はない〟と思っていました。理由は簡単です。
電力会社も国も不法なことをしているわけではないからです。

人としてどう解決していけるかを考える心が繋がれば、原発は止められる…

 仮処分裁判の審理では、そのさなかに中電(中部電力)の事故隠しが明らかになったことも
あって、国の耐震基準は新しい地震学の見地から不充分であるなどの弁護団の主張に、中
電はほとんど反論できませんでした。けれども、傍聴している私の目に映ったのは原告の
主張に決して心を傾けようとしていない裁判官の姿でした。その姿は「法律どおり運用さ
れているのだから、審理などしてもしようがない。起こってもいない事故をあれこれ言っ
ても単に仮定の話にすぎない……」と初めから決めているかのように見えました
 原告側の主張がほぼ出尽くした時、裁判官の相も変わらぬ姿勢に業を煮やした弁護団か
ら「このままだと負ける。仮処分申請では立証方法が限られているから、証人尋問もでき
る本訴(本案訴訟)を並行しておこなう必要がある」という方針が出てきました。
 それは、司法の専門家として弁護団が判断した最善の方法であろうと理解できました。
けれども、二千人もの原告一人一人の合意を取る手間はかけられないから、本訴は限定し
た原告団でおこなうという意向には納得できませんでした。当初「一人でも多くの原告を
集めることが裁判官の心を動かす」という弁護団の言葉に共感し、微力でしたが、私は全
力で原告を募ってきたのです。どんな判決が出ようと、たとえ負けたとしても、原発の運
転を止めてほしいという私たちの願いは決して消えません。「『負ける』ことが今の現実
ならば、それをきちんと受け止め、原告一人一人に伝えて、どうしたらよいか話し合って
進む方法を決めたい」と、私は弁護団会議で強く希望しましたが、「負けるわけにはいか
ない」というのが弁護団の答えでした。
 結局、私は本訴の原告団には加わりませんでした。
 勝ち負けを争うのが裁判ならば、原発設置基準を定めた法律を変えないかぎり裁判には
勝てない、とその時思いました。しかし、法律外のことであっても、立場を超えて、人と
してその問題をどう解決していけるか考えようとする心を繋ぐことができたら、東海地震
に直面する浜岡原発は止められる、私は今でもそう思っています。各々が命の危機に向き
合うならば……。
 裁判から少し離れた私は、そのかわり「地震と原発」の講演会を開いたり、『原発防災
マニュアル』を発行したり、「チェルノブイリ二〇周年メモリアル企画」を準備し、長年
会いたいと念願していた甘蔗珠恵子さんに静岡へ来ていただくなど、私らしい形でやりた
いことを実現しながら、今回の判決の日を迎えました。

結果を急いだり、成果を独り占めにする必要はありません。

 私は健やかな命を未来につなぐために小さなことを一つずつ実現する活動を二十四年間
続けてきましたが、そんな中でも近しい人から「行政がしてくれない」「学校が悪い」
「そんなことを私たちが言っても無理だから……」という言葉を聞くことは少なくありま
せんでした。
 私は今に至るまで〝権力〟とか〝職場の縦社会〟とは無縁に生きてきましたので、裁判
官や先生、行政マンに自分の心が届かなくても、○○はダメだとその方たちを評する勇気
はありません。それは、もし私がその立場だったら、自分の属する世界のルールがすべて
になって、その人と同じように考えたかもしれない……と思えるからです。だから私は
「人が何かをしてくれない」「○○が悪い」と言うより、希望を伝えたり、自分で動いて
みることにしています。
 今の日本、いえ世界が疲弊しているとすれば、それは長い間の慣習や権力を持った一部
の人たちが創り出したルールは変えられないと思い込んでいる人が多いからだと思います。
 電力会社や国、学校、行政などが今回のお手紙にある「虚構」に当たるかどうかはわか
りませんが、私は、損得で人を縛ったり、不都合だとわかっていてもそうしなければなら
ないと思い込んだり、権力に逆らうのは損だと思い込んでいる人々の心の住処を「虚構」
と呼ぶのではないかと思います。
 現実(いのちの世界)は必ず変化していくという当たり前のことに気づけたら、社会も
同じように変化していくものだと知るでしょう。人々が安心できて幸せを感じられる社会
にしていくことは可能だと、考えられると思うのです。
 私は希望や夢を語り合うのが好きです。組織の中にいる人からはよく「それは理想論で
すよ……」と返されることがありますが、「理想だと思ってもらえたら、あとは方法を考
えるだけですよね。ゆっくり考えてみます」と喜んで帰ることにしています。いのち(私
も社会も)は理想に向かって成長するものだと思うからです。そして、なにより、いのち
はゆっくりと変化していくものですから、結果を急いだり、成果を独り占めにする必要も
なく、ただ喜んで関わればいいから嬉しい……。
 私はこの〝いのちの現実〟を、子育てを通して知りました。二人の息子をはじめ多くの
子どもたちを観てきて、当たり前のことですが、どの子もみなその存在の中に成長する力
や個性を携えています。おとなが子どもを盆栽のように意のままに刈り込んでしまわなけ
れば、子どもは自分自身の内の声を聞きながら、自分の求める理想に向かって進んでいく
ように遺伝子がプログラムされているように見えます。
 今、社会がどのような姿であろうと、「何をしなければならない」ではなく、理想を実
現するための方法を見つけながら〝私〟にできることをすればよいと、いつもながらマイ
ペースな私です。願わくば、今年こそ〝いのちの声〟が一つでも多く実現する年であるよ
うに、私も〝社会と私〟を歩みたいと思っています。変わらず見守っていただけたら幸せ
です。
 一月一日        馬場利子

最終更新 2011年 8月 21日(日曜日) 06:31
 

2006年もお世話になりました!

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2006年もお世話になりました!
      2007年もよろしくお願いします

 

2006年もあと僅かで終わろうとしています。
今年も皆様に支えていただいて、 健やかな命のための歩みを続ける事ができました。
温かいお力添え、本当にありがとうございました。

2006年のプラムフィールドの活動は、基盤となっている共同購入“ぐるーぷ・みるめ”や 「健やかな命のための生活講座」の仲間たちによる『環境と暮らしに関わる活動』だけでなく、静岡市や多くの方々、団体・グループと一緒に夢を実現する活動へと、少し視野と心を広げる事が出来ました。

★ 精神障害者の共同作業所“ぱれっと”と協働で、静岡県内産『楠の防虫ブロック』が誕生!

★ 市民エネルギー・ギフトを葵小学校の太陽光発電施設として実現できた事
 ペシャワール会の支援のため 中村哲さんを5年ぶりに静岡に来ていただけた事
 「セブの少女たちに布地を送る会」の支援につながれた事
★ 山谷の無料診療、食事の提供を行う『山友会』への支援を継続的に行えるようになった事
★ そして、プラムフィールドのオープン日を1日も休まず開く事が出来た事!


 プラムフィールドの活動は、メンバー1人1人が誰にも指示されず、出来ることを繋いで『場』と『活動』を続けていますが、その『場』や『活動』に共感してくださる方々によって、私たち自身が自分たちの活動を振り返り、プラムフィールドのあり方に想いをはせる支えになっていただいています。 

 

私たちプラムフールドのメンバーは、自然な出会いの中で、まだ幼かった子供たちを育てながら、何時しか繋がりを深め、どんな時も諦めたり、競争したりしないで『その人、その子らしく生きること』を大切に何年もの時を重ねてきました。

 

 社会では理解できない出来事が少なくありませんが、それでも(いえ、それだからこそ)私たちは未来のために今、私たちに出来る事があるならば、それを心を込めて行いたいと願っています。
「誰がやるべきだ・・」「誰もしてくれない・・」ではなく、出会いと想いを大切にしながら、共に学び、皆さんと一緒に1日1日を丁寧に、楽しく生きたいと思いますので・・、
2007年もどうぞ私たちと一緒に楽しく未来を創ってください!よろしくお願いします。

 

最終更新 2011年 8月 20日(土曜日) 17:34
 

いのちの視点で暮らすということ

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2006年5月25日

馬場利子

ぐるーぷ・みるめの総会に寄せて

1991年に 食べ物に関心を持つ人(7~8人)が集まってスタートした共同購入ですが、あれから15年。
近日は 行政も『食育』に多くの予算や政策をあげるようになっています。
私がなぜ、『食』に関心を持ち、『食の場』に感謝し喜びを感じているのかといえば、それは『健やかな命(体と心)』の基本になる不可欠なものだからです。

 

食べ物(環境から否応なく摂取してしまう化学物質や環境の汚染も含めて)が生き物の健康に及ぼす影響はこの20年の間に顕著に理解されるようになってきました。
 少し知識を持てば、その汚染のリスクを減らす事は実に容易です。
しかし、いのちの視点で暮らすことに無関心でいれば今、何が起こっているのかを感じる事は難しくなります。


 私たちの体と心(脳)は環境の物質を取り入れ、代謝し、命を繋いでします。
 水や空気、食べ物・・全ては環境から得る命の糧です。
だからこそ、私たちは私たち1人1人の暮らしが命の鎖を傷つける事のないように、『生ごみ』を土に還したり、小さな紙に至るまで燃やす事のないように、自分たちで動いて小さな行動としています。

・・・こんな小さな活動は無意味でしょうか?
私たちはまた小さな願いを繋いで、集いや署名、呼びかけをしています。・・そんな事は何の役にも立たない事でしょうか?

 

いのちの視点で暮らす・・とはどんな事を言うのでしょう?

 

いのちとは、小さい大きいではありません。

 

小さな願いが無意味だとするなら、もっと言えば力を持たないいのち(植物や重度の障害を持つ人々)は何の意味もない事になります。
命の視点で暮らすということは、全てがその存在のまま、その輝きを生きるということではないでしょうか・・・。

 

子どもの命を社会の視点で比べる事は、子どもを規格品(物)として扱うのと同じ事で

「私が何をしても変わらない」・・と自分を社会と比較する事も力(幻)の基準です。
「私」の願いや意見は直ぐに社会を変える事は出来ないかもしれません。でも、『私』は私を表す事が命の視点で暮らすことだと思います。
『私』の願いを表すその1つが、食べ物を選ぶ事でもありますし、家族に病の人があれば寄り添い、支える事も『いのちの視点で暮らす』事に他なりません。

 

人と自分を比べたり、社会の中で自分は力の無い者だと自分で決めてしまったり・・・

もし大人がそんな風に生きているとすれば、子どもたちは、とても息苦しくなってしまいます。
だって、力があり、誰にも負けない子など何処にも居ないのですから・・・。

 

「小さな願いを生きれば、感謝して食べられる『食べ物』に出合え、私たちのいのちを活かしてくれる」

「地球上の何億分の1の二酸化炭素を減らす事のできるトレペって嬉しいよね」

そんな話をしながら仲間や家族と一緒に育つ事の出来る暮らしに心から感謝をしています。

最終更新 2011年 8月 20日(土曜日) 17:18
 

メディアと子供たち~携帯電話編~

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2006年2月15日

講師:環境カウンセラー馬場利子氏

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最終更新 2011年 9月 02日(金曜日) 15:50
 


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