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Home > 支援活動・協働企画 > セブの少女たちに布地を送る会
セブの少女に布地を送る会

アジア少女の自立支援1994~2005

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2006年1月19日

河村さんの資料より

 

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最終更新 2011年 8月 06日(土曜日) 16:06
 

アジア少女の自立支援2003

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市民活動家 河村恵子さん

2003年新聞記事より

 フィリピンの子供たちに学費と教材用の布地を送り続けて19年になる静岡市の主婦、河村恵子さん=セブの少女たちに布地を送る会会長=は今夏ミンドロ島に職業訓練校を建設、12月に開講を迎える。1人の主婦が始めた活動は女性のネットワークでパワーを強め、支援先もベトナム、カンボジア、パプア・ニューギニアへと広がった。

 きっかけは1984年、母校の静岡星美高校(現静岡サレジオ高校)の同窓会でストリートチルドレンの存在を知ったこと。
職業訓練校の学費が年間8千円と聞き、さっそく、セブ島の修道会「サレジアンシスターズ」の下にいた16歳の少女の支援を決めた。
洋裁が得意だった河村さん、ダンボールに夏服の布地をつめて送ったが、数ヶ月たっても返事が来ない。
少女は内戦で行方不明になっていたのだ。
「学校の院長のシスター・アニーから、他の子供に配ったら50人分の教材になったと知らされました。職業訓練校で就職に有利なのは洋裁ですが、布地は高価。そこで雑誌などを通じて提供を呼びかけたんです。」

 翌年、会を設立し、コツコツと送りつづけるうちに全国から布地や援助金が届くようになった。
確実に事務処理した甲斐があって、一度関わった人は毎年続けてくれるという。sebu01

10年後、初めてセブ島を訪問した。
「公民館の講座でタガログ語(フィリッピンの共通語)を習得していたことが強み。
援助した少女は28歳に成長し臨床検査技師になっていた。貧困の中でも希望に目を輝かせる子供たちを見て、手助けしたいという思いが強まりました。」

 これを機に、現状を知ってもらうことも大切だと考え、公園に出向くようにした。
同級生十数人も協力、支える輪が一気に広がった。援助はセブ島だけでなくマニラやミンドロ島へ。
河村さんは不要になった布団を譲り受けて打ち直し布団に仕立てて、静岡市内に住む留学生に送る活動も続けている。その縁でベトナムやカンボジアへも支援を広げた。

 支援先には登山リュックに文房具を詰め込んで出かけ、訓練生が作った工芸品を持ち帰り、女性団体のバザーなどで販売した夫の史生さんもベトナム語を習得、心強い同行者だ。

sebu02 この夏、青空教室だったミンドロ島の職業訓練校の校舎建設に向けて、約2年間務めた静岡市選挙管理委員の報酬の一部142万円と義弟からの寄付金50万円、国際ソロプチミストからの賞金の一部とで200万円を工面し送った。「とうとう学校を作ってしまいました」と笑う。会では布地(夏物)文具(ボールペン・シャープペンと替えしん・鉛筆・消しゴム・ノート)奨学金などを募っている。

▽送り先 〒422-8004 静岡市国吉田6-15-53



 

最終更新 2011年 8月 06日(土曜日) 16:03
 

セブの少女たちに布地を送る会会則

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2006年1月17日 会則より

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最終更新 2011年 8月 06日(土曜日) 16:00
   


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