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虚構の現実からいのちの現実へ①

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2008年2月7日

地湧社「湧」1.2月号より

往復書簡  虚構の現実からいのちの現実へ①

浜岡原発裁判はいかがでしたか?

            編集部馬場利子様

 木枯らしが落ち葉を吹き散らし、年の瀬に向けてこちらは何かとせわしない毎日ですが、
いかがお過ごしですか?
 さて、先日(十月二十六日)の静岡地裁で下された判決、「浜岡原発は東海地震が起こ
っても安全で、原発の運転を止める必要はない」には、びっくりさせられました。五年あ
まりをかけて法廷で論議されてきた内容には一切触れられず、あたかも最初からこの日の
判決が決まっていたかのようです。
 東海大地震が起こる前に老朽化した浜岡原発を止めるよう中部電力に求めたこの裁判
で、馬場さんは原告団の事務局長を一市民・一主婦の立場で引き受けられ、裁判に関わる
専門家の人々と一般市民をつなぐ大事な役目を担ってこられました。その一端を小誌に語
っていただいたことがあります(二〇〇三年四月号)が、その時、馬場さんは「この裁判
は、勝ち負けを争う場ではなく、みんなが幸せになるための場であってほしい」というよ
うなことをおっしゃっていました。それは、「健やかな命」を未来へつないでいくことを
つねに第一の目的として、さまざまな提案と行動を重ねてきた馬場さんならではの発言で
したが、実際にこの裁判はいかがでしたか? 
 新しい年を迎えるにあたって、地湧社では「虚構の現実からいのちの現実へ」というテ
ーマを考えてみました。思えば、馬場さんは二十年来、「虚構の現実」に疑問を抱いては、
そのたびに「いのちの現実」に照らした行動をとりつづけてこられたわけです。交渉相手
がどういう立場の人であっても、「いのちの現実」の場に一緒に立っていることをとこと
ん信じる、そんな〝めげない〟馬場さんが、今度の裁判に五年間関わって、今どんなこと
を思っていらっしゃるのか、これからどんなふうに活動していこうとされているのか、ぜ
ひお聞かせいただきたいと思いました。お返事、お待ちしております。
 
 二〇〇七年十二月一日    地湧社編集部 植松明子


いのちの世界という現実は、理想に向かって成長するものだと思っています
                                     馬場利子 静岡市在住・環境カウンセラー
             
「この裁判は私たちの声や願いを伝える場であってほしい」と語ってきました。

 二〇〇七年の終わりにいただいたお手紙、何度も読み返しました。いつも〝私〟から発
した日々の思いや行動にエールを送っていただき、ありがとうございます。
 全国から応援していただいた浜岡原発裁判の判決について、公に感想を述べるのは今回
が初めてになります。
 二〇〇二年四月、二千名以上の原告(債権者)団で提訴した浜岡原発の運転差し止め仮処分
申請は、〝巨大地震の前に一日も早く運転を止めてほしい〟と願う人の心が集まったもの
でした。私自身は、原子炉の耐震性や設計許可基準などについて科学的な論理を主張した
り、法の不合理を訴えるために裁判に参加したのではなく、もっと単純に〝安心して暮ら
したい〟という生活者の声を伝えたい、地震で原発が壊れる不安を抱えながら、その不安
を無いものとして生きるより、皆の不安や願いを直接伝えたいと思ったからでした。
 原子力発電所については、日本で初めて設置が検討された三十五年以上前から、核工学
の専門家の中にも安全性が確立されていないとして反対する人々がいて、建設予定地では
全国どこでも住民の激しい反対があったにもかかわらず、現在に至っています。何万年も
の間放射能を出し続ける核のゴミを子孫に押しつけることを承知しながら、原発を合法的
に運転してはばからない、決して誰も責任が取れない空虚な現実を、すでに争われてきた
多くの裁判で変えられたわけではありませんでした。ですから私は「この裁判は勝ち負け
を争う場ではなく、私たちの願いを伝え、どうしたら皆が安心して暮らせるようにできる
か考える場であってほしい」と語ってきました。
 裁判や法律というものをまったく知らない私でしたから、このような無知で無謀な発言
ができたのだと思います。「勝ち負けではない……」の発言は弁護団からも一部の原告か
らも、事務局長として〝不適切〟だと指摘されましたが、それでも私は心の中で〝勝ち負
けを争うなら、私たちに勝ち目はない〟と思っていました。理由は簡単です。
電力会社も国も不法なことをしているわけではないからです。

人としてどう解決していけるかを考える心が繋がれば、原発は止められる…

 仮処分裁判の審理では、そのさなかに中電(中部電力)の事故隠しが明らかになったことも
あって、国の耐震基準は新しい地震学の見地から不充分であるなどの弁護団の主張に、中
電はほとんど反論できませんでした。けれども、傍聴している私の目に映ったのは原告の
主張に決して心を傾けようとしていない裁判官の姿でした。その姿は「法律どおり運用さ
れているのだから、審理などしてもしようがない。起こってもいない事故をあれこれ言っ
ても単に仮定の話にすぎない……」と初めから決めているかのように見えました
 原告側の主張がほぼ出尽くした時、裁判官の相も変わらぬ姿勢に業を煮やした弁護団か
ら「このままだと負ける。仮処分申請では立証方法が限られているから、証人尋問もでき
る本訴(本案訴訟)を並行しておこなう必要がある」という方針が出てきました。
 それは、司法の専門家として弁護団が判断した最善の方法であろうと理解できました。
けれども、二千人もの原告一人一人の合意を取る手間はかけられないから、本訴は限定し
た原告団でおこなうという意向には納得できませんでした。当初「一人でも多くの原告を
集めることが裁判官の心を動かす」という弁護団の言葉に共感し、微力でしたが、私は全
力で原告を募ってきたのです。どんな判決が出ようと、たとえ負けたとしても、原発の運
転を止めてほしいという私たちの願いは決して消えません。「『負ける』ことが今の現実
ならば、それをきちんと受け止め、原告一人一人に伝えて、どうしたらよいか話し合って
進む方法を決めたい」と、私は弁護団会議で強く希望しましたが、「負けるわけにはいか
ない」というのが弁護団の答えでした。
 結局、私は本訴の原告団には加わりませんでした。
 勝ち負けを争うのが裁判ならば、原発設置基準を定めた法律を変えないかぎり裁判には
勝てない、とその時思いました。しかし、法律外のことであっても、立場を超えて、人と
してその問題をどう解決していけるか考えようとする心を繋ぐことができたら、東海地震
に直面する浜岡原発は止められる、私は今でもそう思っています。各々が命の危機に向き
合うならば……。
 裁判から少し離れた私は、そのかわり「地震と原発」の講演会を開いたり、『原発防災
マニュアル』を発行したり、「チェルノブイリ二〇周年メモリアル企画」を準備し、長年
会いたいと念願していた甘蔗珠恵子さんに静岡へ来ていただくなど、私らしい形でやりた
いことを実現しながら、今回の判決の日を迎えました。

結果を急いだり、成果を独り占めにする必要はありません。

 私は健やかな命を未来につなぐために小さなことを一つずつ実現する活動を二十四年間
続けてきましたが、そんな中でも近しい人から「行政がしてくれない」「学校が悪い」
「そんなことを私たちが言っても無理だから……」という言葉を聞くことは少なくありま
せんでした。
 私は今に至るまで〝権力〟とか〝職場の縦社会〟とは無縁に生きてきましたので、裁判
官や先生、行政マンに自分の心が届かなくても、○○はダメだとその方たちを評する勇気
はありません。それは、もし私がその立場だったら、自分の属する世界のルールがすべて
になって、その人と同じように考えたかもしれない……と思えるからです。だから私は
「人が何かをしてくれない」「○○が悪い」と言うより、希望を伝えたり、自分で動いて
みることにしています。
 今の日本、いえ世界が疲弊しているとすれば、それは長い間の慣習や権力を持った一部
の人たちが創り出したルールは変えられないと思い込んでいる人が多いからだと思います。
 電力会社や国、学校、行政などが今回のお手紙にある「虚構」に当たるかどうかはわか
りませんが、私は、損得で人を縛ったり、不都合だとわかっていてもそうしなければなら
ないと思い込んだり、権力に逆らうのは損だと思い込んでいる人々の心の住処を「虚構」
と呼ぶのではないかと思います。
 現実(いのちの世界)は必ず変化していくという当たり前のことに気づけたら、社会も
同じように変化していくものだと知るでしょう。人々が安心できて幸せを感じられる社会
にしていくことは可能だと、考えられると思うのです。
 私は希望や夢を語り合うのが好きです。組織の中にいる人からはよく「それは理想論で
すよ……」と返されることがありますが、「理想だと思ってもらえたら、あとは方法を考
えるだけですよね。ゆっくり考えてみます」と喜んで帰ることにしています。いのち(私
も社会も)は理想に向かって成長するものだと思うからです。そして、なにより、いのち
はゆっくりと変化していくものですから、結果を急いだり、成果を独り占めにする必要も
なく、ただ喜んで関わればいいから嬉しい……。
 私はこの〝いのちの現実〟を、子育てを通して知りました。二人の息子をはじめ多くの
子どもたちを観てきて、当たり前のことですが、どの子もみなその存在の中に成長する力
や個性を携えています。おとなが子どもを盆栽のように意のままに刈り込んでしまわなけ
れば、子どもは自分自身の内の声を聞きながら、自分の求める理想に向かって進んでいく
ように遺伝子がプログラムされているように見えます。
 今、社会がどのような姿であろうと、「何をしなければならない」ではなく、理想を実
現するための方法を見つけながら〝私〟にできることをすればよいと、いつもながらマイ
ペースな私です。願わくば、今年こそ〝いのちの声〟が一つでも多く実現する年であるよ
うに、私も〝社会と私〟を歩みたいと思っています。変わらず見守っていただけたら幸せ
です。
 一月一日        馬場利子

最終更新 2011年 8月 21日(日曜日) 06:31