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Home > 支援活動・協働企画 > 中国の砂漠の緑化 > 福岡正信さんからのメッセージ

福岡正信さんからのメッセージ

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1999年9月8日

中国シルクロード緑化に想ふ

  この度、中国政府が、中国の4分の1を占める荒廃地の緑化を粘土団子で達成しようと決意されたことは、絶望的な地球の自然の未来に一筋の光を当てるものと期待される。
しかし余りにも広大な荒野を前にした時、私等は自らの非力さを痛感せざるを得ない。
しかも地上の砂漠化の真因を探れば探るほど、その禍根は深く、人類の誕生とともに始まり、人智の発達とその所業である文明の暴走がもたらした結果に他ならぬことがわかる。
すなわち自然の崩壊は、単に自然現象ではなく、人間の心の荒廃が出発点となっている。
したがって砂漠緑化は、全ての人が心を改め、自然に還った生活をする決意がなければ、どんな砂漠対策も一時的・局部的な対策に終わってしまう。
どんなに広大な砂漠でも、一人一人が足元に粘土団子の種を蒔いて行けば、自ずから道は開ける。

 我々がやることは唯一つ。粘土団子の種を蒔くこと。それしかない。
粘土団子は自然科学の知恵から生まれた小さな技術ではない。

 昨年ギリシャ北部のヴェゴリチ湖(10年後には干上がってしまうといわれている)をとりまく1万ヘクタールの岩山で、小中高校生と粘土団子の種蒔きをした時のことである。
「今日は『1日神様』になって、この山頂から粘土団子に息を吹きかけ、命を吹き込んで、地球に種まきしよう!!」とよびかけ、数百人が一列横隊になり粘土団子をいっせいに空高く蒔いてまわった。
中にはよちよちアルキの幼児もいて、紅葉のような手に粘土団子を硬く握りしめたかと思うと、掌をいっぱいに 開いて、種を蒔く姿があった。
幼児の力は小さな力ではなかった。

 この緑化にギリシャ政府は、3億5500万円の予算を見積もったが、結局パノス(18年前に半年間私の自然農園で学び、現在ギリシャで自然農法を営んでいる)を中心とするボランティアの力で遂行できた。
この時小さな力も集結すれば、大きな力になることを自覚した。

 これが動機となり、地中海沿岸諸国が次々と応援しあって、グリーンオリンピックの名のもとに、自然復活への粘土団子の種まきが続けられている。

 

粘土は地球ができた時の最初の物質で、粘土創世説もあるほどで、この世の物質は粘土から始まったといっても良い。
粘土の中にあらゆる原子、素粒子が含まれている。
また粘土団子は、近代農法の技術一切が凝結されたものと見ても良い。
この粘土と人の心が結びつけば、強大な力が発揮できる。
しかし粘土団子とは何か、人智は粘土の真価を知り得るかを疑わなければならぬ。
人智はこの世のあらゆる事柄を審判しうるものと考えられているが、本当にそうだろうか?

 まず人智はどうして組み立てられ、成立しているのかが、検討されなければならない。
空高く蒔かれた一粒の種は、1点に見える。
それが落下する時、1点の軌道は連続して線に見える。
すなわち点の連続が1線になる。
もう1歩踏み込んでみると、つまり点と線はもともと同じであった。
空間・時間の概念も、1点とその連続である1線から発生したといっても良い。
1点は空間(もの)の始原体で、1線は時間(こころ)の始原体と言える。
すなわち時間と空間は元来同体同質であったとすると、時空を分別し、区別した事が人智のスタートであり、 1者を2者に分けた時から、人間の相対的思考が始まったと言える。
となると、人智のスタートはこれでよかったのか、である。

 森羅万象、人間の思考一切が、人智による時間と空間の上に築いたこの世を陰と陽、プラスとマイナスの世界と見たのは間違いで、本来は万物万象一体、一元の世界と見るべきであった。
しかし一般的科学的にみれば、白もあれば黒もあり、一葉にさえ裏表があるこの世を相対界と見誤った。
この世は相対界にも、絶対界にもなる。
相対界とみれば、白黒、勝敗、愛憎・・・矛盾だらけの地獄になり、万物万象一体の一元の世界と見れば、調和の取れた天国になる。
その分岐点は、時間・空間を別物と見るか、同一とみるかによって決まる。
時間空間を同体として消してしまえば、即時空を越えた世界という事になる。
言い換えれば、これが無分別の世界であり、哲学的に言えば、絶対時間・絶対空間の世界で、これこそ自然の姿である。 

 この自然の領域に踏み込んでこの世を見たらそうなるか?
時空を越えた自然の達観的視野から見た森羅万象を「天眼鏡」に図示し、万物万象の心を自然の中心に飛び込んで握ったらどうなるかを「天心鏡」として表してみた。
本来、物心同体であって、時空の「如意輪棒」で解読すれば、天眼鏡の形と天心鏡の心は同一である事が理解されよう。
一切の物質・現象は同一根元から発し、全てが相似現象であり、あらゆる現象に始めもなく、終わりもない。
すなわち科学の世界の因果関係は一切が否定されることになる。
従って人智人為の一切は無用だった事が証明されよう。

 万人が無為自然の心を持ち、自然の流転に順応して生きておれば、自然も自ずから復活する。
欧州の砂漠化も2~3000年前から発達した文明の力を借り、人智で軍艦を造り、西洋諸国の民を蹂躙した結果に他ならない。
人智が発達し、農学で人為的に作物が作れる、増産できると錯覚した事が地球規模での土壌流出や塩類集積を引き起こし、死の星を作る結果を招いた。

 自然復活の妨げになるのはどこまでも1に人智、2に人為である。
今も昔も、緑と水と食の略奪が火種となり、世界各地で戦火が絶えない。
唯無心になり、粘土団子を蒔き、緑の復活をすれば、地上に平和が戻る事は間違いない。

 明日では遅すぎる。
今日食べた野菜や果物の種を集める事から始めれば、地球の自然復活は不可能ではない。

最終更新 2011年 8月 08日(月曜日) 09:59