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2006’5月
“宮下喜夫さん”
“おいしい野菜をありがとうございます”
1998年10月 by伊藤

 前回のかぼちゃと玉ネギの中に下記のようなコピーが入っていました。
天候不順を感じさせない元気いっぱいの農作物をつくって下さっている宮下さんてどんな方かしら・・・?
「みるめ」と宮下さんのつながりを築いてくれた馬場さんにインタビュー(!?)しました。


*宮下さんとのなれそめは・・・?
 消費者連盟の運営委員をしていた時、全国ゴルフ場対策ネットワークで活動していた委員の方 (*1)から
「脱サラして、土つくりからがんばている男性がいる。生産物の届け先がなくて困っている人物。作り方は保障しますよ」
と紹介されました。

*みるめとのお付き合いはいつごろから・・・?
1993年だったから、もう5年になります。

*みるめとの交流は・・・?
ふだんはFAXや手紙でやりとりしています。
西草深町の事務所の時、みるめに訪ねて来てくださり、世話人6人とお会いしましたが、すらっとした、でも骨太で、ズーズー弁(北海道弁)と大阪弁がミックスしたような素朴を絵葉書にしたような方です。

大自然の中で、人として誠実に生きようとする時、きっとたくさんのきびしさを味わってこられたのだろうな・・・と感じる凛とした人柄がとても心に残っています。

北海道に行ったら一番に訪ねたいのが宮下さんの農場です。

(*1) この方は市民活動30年という本当におっとりとした知性派の女性で、北海道大学の教授になったご主人について、彼女も東京から北海道に移ったばかりのころでした。


“大地に夢を”
1998年9月16日 十勝毎日新聞より

 「環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)などが今問題になっているが、1970年代にも公害、資源、人口問題がいろいろ騒がれた。
その当時から農業は生きる基本であり、農薬、化学肥料を使わない有機農業をすることが人間、そして自分が生きるためにも重要と思っていた」

“信念持ち無農薬有機農業貫く”

 宮下喜夫さん(48)は京都生まれ。
神戸の甲南大学卒業後、約一年間、福祉施設に勤務したが、農業をやりたくて退職。
北海道を旅行している途中の民宿で、新得町でシイタケ栽培を始めた関根悦郎さんの話を聞いて興味を持ち、会いに行った。
 それがきっかけになり、77年、地域の農家で1年間実習。
翌78年、新内の土地約3.8fを友人と共同で取得、宮下さんの分2.2f中1.8fを畑にしている。
 初年度は素人仕事、豊作による低価格などで失敗したが、本州のよう同購入グループ用に作ったわずか10eの無農薬のにんじんから、毎年、グループ購入が増えだした。
共同グループに出荷している芦別や赤平の農家から堆肥作りを学ぶなど、試行錯誤を繰り返し、87年からは全農地・作物を完全無農薬化で栽培、94年からは化学肥料も完全にやめ、有機肥料のみになった。

 現在、この方法でソバ、カボチャ、ジャガイモ、ニンジン、キャベツ、ハクサイ、ダイコン、スイートコーン、コマツナ、を栽培。
宅配と道内外の有機農産物を扱う八百屋を通じて、共同購入グループ約20件と個人約50人に安全で新鮮な農産物を供給している。
中でも、ソバは手刈りし、製粉工場で加工したものを乾ソバにしてオリジナルの「親内そば」と銘打ち、販売している。
「こんなおいしい、イモやカボチャを食べたことがない」
こうした反響が毎年必ず寄せられる。

家族は文代夫人(47)との間に1男2女の5人。
「もちろん、楽ではない。しかし、時代は当初思い描いていたように進んでいる。
やってきたことは間違いなかった。
環境問題に対する認識が広がり、有機農業も市民権を得た。
スーパー、デパートでも有機農産物が扱われるようになった。
でも、“悪貨”が“良貨”を駆逐することがないように…。」
時代をしっかり見つめながら、今日も信念を持って耕す。(政経部=小野寺裕)




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2007'9/26
“宮下喜夫さん”
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